イギリス海岸とアラエビス海岸
岩手の地質紀行 ~その2~
イギリス海岸とアラエビス海岸
とある年の夏、北上川の水位が下がってイギリス海岸の泥岩が露出しているというので、きっと紫波のアラヱビス海岸も見頃だろうと思い、両者を尋ねてみました。確かにいつもより露出しています。
イギリス海岸ではフェルト底の地下足袋履いて降り立ってみました。けれど水中はスベるスベる。表面のシルトが溶け出してフェルトの効きが悪く、浸食で削られやすいのが足下の感覚でわかります。かつてはもっと対岸側に流心があったそうですから、ちょっとした地殻変動が起きない限りもういずれ浸食されて無くなる運命でしょう。
夕刻の光加減と青空に浮かぶ雲が、素晴らしい海岸の景色を映していました。たくさんの人が川岸に降りて、石切などをやっておりました。
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サァペンティンの滝 (火石沢の滝)
岩手の地質紀行 ~その1~
サァペンティンの滝(火石沢の滝)
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
さそりの赤眼が 見えたころ
四時から今朝も やって来た。
遠野の盆地は まっくらで、
つめたい水の 声ばかり。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
凍えた砂利に 湯げを吐き、
火花を闇に まきながら、
蛇紋岩<サアペンテイン>の 崖に来て、
やっと東が 燃えだした。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
鳥がなきだし 木は光り、
青々川は ながれたが、
丘もはざまも いちめんに、
まぶしい霜を 載せていた。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
やっぱりかけると あったかだ、
僕はほうほう 汗が出る。
もう七、八里 はせたいな、
今日も一日 霜ぐもり。
ガタンガタン、ギー、シュウシュウ短編童話『シグナルとシグナレス』宮沢賢治(1923.5)より
上の詩は、宮沢賢治の短編童話「シグナルとシグナレス」の冒頭に出てくる唄の詩です。蛇紋岩をわざわざ英語読みの<サアペンテイン>と読ませています。
紫波町に、このサアペンテインの崖がありました。その崖が形成している滝が今回紹介する「サァペンティンの滝」です。地元では「火石沢の滝」として知られている落差4mほどの滝で、彦部から赤沢に抜ける道のすぐ脇を流れる赤沢川に、悠然とその姿を見せます。
この写真を撮った日は、4月の雪解けによる増水で、ゴォゴォと迫力ある滝となっていました。日本広しと言えども、このような滝は極めて珍しいはずです。それも車道のそばにあるから驚きです。
珍しい理由、それはこの滝が蛇紋岩やそれに付随する地質で出来ているからです。そう、地質学者でもあった宮沢賢治が自身の作品の中に度々登場させる蛇紋岩であす。
蛇紋岩は海底下のマントルで形成された橄欖(かんらん)岩が変成したものであり、かなり特殊な地質です。下に日本での蛇紋岩の分布域を示すが、東北では岩手の北上山地に特徴的に産しており、その一部がここに露出しているのです。
早池峰山の蛇紋岩が有名ですが、蛇紋岩が風化した土壌は多くの植物にとって有害で、特殊な植生が形成されやすいのです。早池峰山に特殊な高山植物が多い理由のひとつとなっています。
紫波町では、佐比内から長岡まで、蛇紋岩がかなり広い面積で分布します。地名にも
その影爵と思われる名称が多いのです。例えばここ「火石沢」の名ですが、火石とはその昔これで火を著けた硬い石に由来するもので、蛇紋岩とまったくちがう性質の石(チャート〉が、下の地質図に示すよう、蛇紋岩の岩体に、しばしば付随する石であります。
また、黒石山は恐らく黒い蛇紋岩の山のことであり、柏森山は、蛇紋岩地質で生えやすい柏(カシワ〉の木が生えた山であったと考えられるのです。そうそう、水沢の蘇民祭で有名な黒石寺は、蛇紋岩の山にあります。そしてその周辺には、カシワの森が広がっているのです。
この蛇紋岩、実は風化しやすく崩れやすい性質を持っています。しかし何故このよう
なきれいな滝が形成れるのでしょうか?(滝は通常、硬い岩石でできている)
それは、この滝の名(火石沢の滝)と関係あるのでしょうか?
実はこの滝はいろいろ謎に包まれているとも言えるのであります。
賢治が度々作品に登場させたこのサァペンティン、この蛇紋岩が放つ黒光りのよう
な怪しい神秘性が、賢治の心を揺さぶったと言えるのかも知れません。
キャンプの経済活性化に関わる質問に関する回答(とある専門学校生の質問より)
とある専門学校生の卒業課題かなんかで、質問を受けたのでそれをまとめてみたら、つどいの森関係者のみならず、利用者に対しても参考になると思われたのでここに掲載します。
キャンプ場関連の質問
1)キャンプ場が盛岡にある意義(盛岡でなければならない理由)
都南つどいの森は盛岡市所有の施設なので盛岡市内に立地しているのは当然として、もしここが行政機関としての盛岡市に縛られない施設であったらという仮定でお答えしたいと思います。
キャンプ場の立地箇所が盛岡市内である意義は、直接的には全くありません。何故なら利用者や運営者が行政的な立地箇所についてキャンプ場を選んだり施設運営の基準にすることはほぼ皆無だからです。一方、遠隔地に行かなくても近場でキャンプ体験やそれに付随する非日常体験ができるという点で、盛岡市内それも中心部から車で30分以内の立地にキャンプ場があるということは大いに意義があります。もちろんそれはキャンプ場が盛岡でなければならない理由にはなりませんが、少なくともつどいの森を訪れたことがない利用者には「盛岡にあるキャンプ場」が「利便性が高いキャンプ場」というイメージを与えるのは間違いないでしょう。お答えになってないかもしれませんが、つどいの森の立地的な特徴はこのように「盛岡中心部からさほど遠くない場所に、自然豊かな非日常性を味わえるキャンプ場である」ことに尽きます。
2)バーベキュー(BBQ)の素材の地産性
BBQの肉、野菜等の素材は昨年まで老舗スーパーの「川鉄商店」に依頼していましたが、この春に倒産してしまいました。その後、こちらの条件に合致する小売業者を探していましたが、「盛岡南ショッピングセンターNACS」が川鉄商店と同じように肉ほか野菜など一緒に小ロットで納入してもらえるようになりました。このようにキャンプ場では小規模でもすぐ対応できる小売店の存在が欠かせなく、素材の地産性は二の次になります。したがって川鉄でもNACSでも、どこ産の商品を使っているか、つどいの森としては把握してないのが現状です。安くて利便性のある地産品を扱ってくれる店があればそちらに乗り換えたほうがいいのですが、一般的に地産品ではそのような対応が難しいのが現状です。
3)盛岡市内におけるキャンプの有益性
(1)でも述べた通り、キャンプという非日常を味わえる場所が盛岡市内にあるという点は、利便性の点で大きな有益性があります。また逆に言えば、真に非日常性を求める人には「すぐ行けるキャンプ場」に物足りなさを感じてしまうのかもしれません。そこら辺のバランスをとることが盛岡市内におけるキャンプの有益性に密接に繋がるでしょう。
つどいの森に関して言えばその立地を考えた時、県立自然公園に推す動きもある志波三山地域にあること、街道筋から離れていること(志和稲荷街道から1.2km奥にある)、クマ、カモシカ、イノシシ、テンなど近隣に野生生物が生息していること、植生が豊富なこと(樹種100種以上)、近傍に盛岡市街地はじめ北上山地や北上盆地を眺められる展望地があることなど、「すぐ行けるキャンプ場」としては有益で稀有な属性を備えていると言えるでしょう。
4)自然災害、天候悪化への対応
つどいの森で最も起こりやすい自然災害、気象災害は豪雨による河川の氾濫とそれに伴う土石流でしょう。2013年の8月9日に起こった雫石紫波豪雨による土石流災害は、つどいの森内を流れる小沢に尋常でない水の流れを生み出し、強まった侵食作用により自身の流路を変えたほか、一部では土砂崩壊や土砂流失を起こしました。おそらくこれが過去につどいの森で発生した災害のうち最も大きなものでしょう。
つどいの森の北縁部を流れる大沢の沢部はこのように上流から流れてきた土砂で埋め尽くされ場所によっては3mも沢床が上昇しました。沢部の被害はこのように甚大であったのですが、つどいの森の施設のほぼ全てがある台地上のキャンプ地の被害はほとんどありませんでした。また、大雨等天候悪化による大きな不具合は、キャンプ地内では発生したことがありません。
地球温暖化に伴う気候変化で今後気象災害の頻発が予想されています。キャンプ場内でも予期せぬ異変に対応するよう、周辺環境の変化が起こっていないか常に観察を行うとともに、再来年の施設整理に向けて危機管理対応マニュアルを整備する予定です。またそれに先行して災害の背景となるつどいの森の地形地質的な位置づけについて今年整理を行いました。下図はその一部です。参考までに掲げます。
その他
1)管理者が思うキャンプの楽しさ
キャンプは無条件に楽しいものです。この楽しさは人間が人間らしく生活する上で欠かせないものだと考えております。決して大げさに言っているわけではありません。いつもの生活と全く異なる空間、夜と野火が近くにある環境、自ら働かないと得られない食事、寒い暑いを工夫で快適に過ごすまでの労苦、焚火や夜の匂い、静寂の音、ひんやりと冷たい感触。これらの非日常が混然一体となって襲ってくる体験は、人間がかつて動物だった頃、自然の一部にあったことを気づかせてくれる自己認識体験であり、余計な自意識をうっちゃってくれるものなのです。火を見つめて何か考えますか? 恐らく何も考えていないはずです。キャンプとはそういうことなのです。
つどいの森を運営する我々管理者サイドも利用客の皆さんに日常を離れた世界で思う存分楽しんでもらいたいと、あまり細かいことは言いません。最低限プラスアルファの他者を思いやる気持ちと行動(人はこれをルールと言う)を持って、皆で気持ちよく過ごしましょう。
2)キャンプがもたらす経済効果
ここまで読んでもらったら、この設問は愚問に思えるでしょう。キャンプで経済効果を計るなんて、当事者的にはかなりどうでもいいことです。と、言ってしまっては身も蓋もないのでちょっと考えてみます。
キャンプ場を賃貸すること、キャンプ道具を購入すること、キャンプ地まで自家用車含む交通機関で移動すること、特別なキャンプ飯を市場で調達することなどが直接的な経済効果になりますが、微々たるものです。ただ、間接的な経済効果となるとひょっとしたら観光消費という点でバカにならないかもしれません。この場合、付帯施設の集客や周辺地域への立ち寄りがポイントになります。付帯施設としては温泉やレジャー施設などが考えられますが、キャンプ場として何度もお客さんに足を運んでもらうことが重要です。周辺施設との連携も重要ですが、キャンプ場単体としての魅力が最重要です。そのため周囲の自然環境含めた魅力を損ねず、最大限引き出し、それを維持したり、流行り廃りに合わせて改変していくことが肝要です。理想的なキャンプ場というものは立地によってまちまちです。その立地での魅力を時代に合わせながら維持し続けるキャンプ場が、最も経済効果の高いキャンプ場と言えるでしょう。
完
春の雪面にジャクソン・ポロックのフラクタルを観る(管理人が愛する自然の中の数学その2)
ジャクソン・ポロックはアメリカの現代美術の代表作家の一人で、アクション・ペインティングっていう、床に置いたキャンバスの上に身を乗り出し絵の具をまき散らすやり方で、いわば抽象画の極みみたいな絵をかく作家ですが、ずいぶん昔(2012年3月)、NHK-BSの番組「美の饗宴」で、その絵がフラクタル構造(自己相似性)を持っていることが明らかにされました。私にとっては目から鱗の衝撃の事実でした。
この番組は、オレゴン大学のR.P.テイラー教授による研究をもとに作られました。その研究成果の概要が、日経サイエンス2003年3月号に掲載されており、全文読むには課金が必要ですが、今でもネット経由で読みことが出来ます。
abstract:
抽象表現主義の画家,ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock,1912?1956)。彼が絵の具をカンバスにたらして描いた作品には意外な秘密が隠されていた。一見するとデタラメだが,実は自然界に見られるのと同じ秩序を含むパターンがひそんでいたのだ。
著者は物理学者だが,趣味で抽象画を描いていた。ある時,画家を目指すことを決意して英国の美術学校に学んだが,そこで偶然にもポロックの秘密に迫る手がかりをつかんだ。風に応じて絵の具をカンバスにしたたらせる仕組みを作っておいたところ,嵐の夜が明けるとポロック作品によく似た絵が出来上がっていた。
樹木や雲,山なみの形など,自然には一見すると不規則だが,ある種の秩序を含む図形が現れる。フラクタルと呼ばれる性質だ。著者が再び大学に戻ってコンピューター解析したところ,ポロック作品はまさにフラクタルだとわかった。自然界のフラクタル構造が発見されたのは1970年代だが,ポロックはその25年前にそれをカンバスに描いていたことになる。
さらに分析を進めると,同じような抽象画でもフラクタル構造を持つのはポロック作品だけであること,ポロックの作品は後代のものほどフラクタル構造の複雑さが増していることなど,興味深い事実が見つかった。また,複雑さを示す指標が一定の範囲内にあると,鑑賞者がリラックスした気分になることも判明した。
フラクタルって、ある種のブロッコリーや海岸線、木の枝なり(樹形)など、細部まで拡大しても同じパターンを示す図形のことで、自然界にはこのほかにも遍くこの相似性が隠されていることが知られています(ただしこの概念はポロックの死後かなり経ってから発見されたのです)。
番組で紹介したポロックの絵は、細部まで自己相似性を保つようなパターンで占められていました。おまけにこの性質が、何千万円もするポロックの絵のあまたある贋作を見分けるのに使われるとまで聞けば、ポロックの中の無意識な自己統制が、絵に自然界が持つ神秘的な命を吹き込んだとさえ思えて来るわけです。
毎年2月から3月になると、ウリハダカエデの樹液採取のため朝な夕な毎日のようにつどいの森に行くのですが、雪面に繰り広げられる落下物を見ていると、ポロックの絵が浮かんでくるのです。どうですか、下の写真と絵、似てませんか?
この共通性はポロックの絵がドリッピングやポーリングといった絵具を滴り落ちらせる技法で描かれたことと関係しています。雪面をキャンバスに見立てると、そこへの落下物がドリップ(滴り落ちる)した描き方とある意味共通するわけです。
ポロックの絵は、画枠内に収まるよう絵の具の動きがコントロールされていますが、それが逆に見る者に安心感(視界)を与えています。そして自然界で見慣れたこのパターン、見ていて癒されませんか?
オラはひょっとして樹液を採るためと言うより、このパターンに癒されたくて森に通っているのかもしれません。
ジャクソン・ポロックが住んだニューヨーク郊外のイーストハンプトンの自宅の周りには、適度に自然(緑)が広がっています。しかし街区を見ると、作られた自然であることが分かります。このような環境でポロックの絵の重要な要素が育まれたのは想像に難くありません。そしてそれは、子どもの頃に過ごしたワイオミングの自然が、ベースになっているに違いありません。
自然界に潜むフィボナッチ数列(管理人が愛する数学その1)
フィボナッチ数列とは?
フィボナッチ数列は次のような数列です。
0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,377,610,987,1597,・・・
0と1から始まり、前2項の和を並べて行った数列です。
0+1=1
1+1=2
1+2=3
2+3=5
3+5=8
5+8=13
⋮
隣り合う2項の比は、限りなく黄金比 φ=1.618・・・ (例えば55/34=1.6176・・・)に近づいていきます。
例えばひまわりの花は、種が螺旋状に配列しています。これを左回り、右回りに配列している数を数えると、それぞれ34列、55列と明確に数えられるのです。
また例えばアカマツやクロマツなどの松ぼっくりの螺旋の配列は5列と8列、ダイオウショウやリキダマツなど大き目の松ぼっくりでは8列と13列、パイナップルも8列と13列になっているのをご存知でしょうか? これらの数は全てフィボナッチ数です。カリフラワーの一種、ロマネスコの螺旋もフィボナッチ(かつフラクタル)です。 他にも植物の葉序など、あらゆるところにフィボナッチ数が潜んでいます。
ところがヒマワリの場合、花が大きくなると種のフィボナッチ螺旋が破綻して数か所に螺旋の中心ができたり、螺旋を都合よく埋めるような配列が加わったりするので、きれいなフィボナッチ螺旋は出来にくいとされています。
これは、ヒマワリの種も大きくなれば(種の数が増えれば)、秩序破綻しないと運営できないのでしょう。人間社会への明快なアナロジーになってます。
他の例も見てみましょう。
アカマツ、クロマツは5×8のフィボナッチ螺旋に13列の螺旋も見つかることがあります。
ロマネスコ(カリフラワーの一種)はフィブナッチ螺旋とフラクタル構造※を併せ持つことが知られていますが、結構破綻しているのも多いです。
自然界には、たとえばリアス式海岸の海岸線や、空に浮かぶ雲の形、河川の本支流の形、動物の体内に広がっている血管の分布の形、あるいは樹木の枝の形など、数学の初等幾何で扱う円や三角形、球、直方体などの整った形とは異なって不規則で複雑な図形が至る所に存在する。数学の古典的な微分法は、どんなに複雑なようにみえる形(曲線)であっても微分が可能である、つまり、全体としては曲がっていても、それを十分に細かく分解していけば、細分された部分はやがて直線と見分けがつかないほどになってしまう、いいかえれば十分に細分された微小部分は直線で近似的に表すことができる、という前提のもとに発展してきた。ところが前記のような自然界にみられる形はその図形を分解していって、その一部を取り出して拡大してみると、元の全体の図形と同じような複雑な図形を依然としてもっている。
いま、どのように分解してもその部分が元の全体と同じ形を備えている図形を数学的に考える。このつねに元の形の縮小した形を備えているという性質を自己相似性という。自己相似性を備えた図形は、その微小部分が線分に近似できないから微分が不可能である。フラクタルとはそのような自己相似性を備え、どこでも微分が定義できないような形(集合)をいい、それを扱う数学をフラクタル幾何学という。
このことばはフランスのマンデルブロB. B. Mandelbrot(1924― )がつくったもので、語源はラテン語のfractasであり、「破片」「分割」を意味する。
フラクタルは定量的にはフラクタル次元(相似性次元)で表される。この次元は普通にいう一次元(線)、二次元(平面)、三次元(立体)といった整数で表される次元と異なり、非整数の値も含む次元であり、一般的には次元の高い図形のほうがより複雑で不規則な図形といえる。フラクタル図形は、現在、コンピュータで容易に描くことができ、コンピュータ・グラフィクスの分野で発展した観がある。事実、フラクタルは微分不可能であるため、コンピュータによる解析やシミュレーションが不可欠であり、コンピュータとともに発展した幾何学といえる。その対象には前記のような自然界のさまざまな形のほか、天体の分布、地震の発生頻度、ランダムウォーク、流体や高分子構造などきわめて広範囲であり、その研究と成果が注目される。
フィボナッチ数列の黄金比の説明の際によく引き合いに出されるオウムガイは、実は黄金比とは関係ないと言われてます。それは、オウムガイが黄金比と違う成長率をもつためです。森遊びの分野でもこのような誤謬に枚挙にいとまがありません。言われていることを信じずに自分で確かめる癖をつけましょう。