イギリス海岸とアラエビス海岸
岩手の地質紀行 ~その2~
イギリス海岸とアラエビス海岸
とある年の夏、北上川の水位が下がってイギリス海岸の泥岩が露出しているというので、きっと紫波のアラヱビス海岸も見頃だろうと思い、両者を尋ねてみました。確かにいつもより露出しています。
イギリス海岸ではフェルト底の地下足袋履いて降り立ってみました。けれど水中はスベるスベる。表面のシルトが溶け出してフェルトの効きが悪く、浸食で削られやすいのが足下の感覚でわかります。かつてはもっと対岸側に流心があったそうですから、ちょっとした地殻変動が起きない限りもういずれ浸食されて無くなる運命でしょう。
夕刻の光加減と青空に浮かぶ雲が、素晴らしい海岸の景色を映していました。たくさんの人が川岸に降りて、石切などをやっておりました。
次にアラヱビス海岸に向いました。ここは北上川と滝名川の合流点より少し上流の北上川の屈曲部で、粘板岩系の変成岩で出来てます。かなり硬い岩石です。アラヱビス海岸はスイマセン、私の造語です。紫波の偉人野村胡堂にあやかって名付けました。
実はこのアラヱビス海岸の岩石、強力に変成されているため時代特定が困難で、いまだに確証ある時代が定まっていません。分かっている範囲での日本の最古の岩石は古生代のオルドビス紀(≒4億5千年前)のものもですが(この記事が書かれた2014年当時の話、今は茨城県の銅鉱石の放射性年代測定からカンブリア紀の地層があることが分かっています)
それに匹敵し、なおかつもっと古いカンブリア紀(≒5億年前)の可能性だってあるのです。そう、岩手県(北上山地)で最も古い時代の地質なのです。
惜しむらくはこのアラヱビス海岸、ちょっと近づきにくいのと、流心が右岸側に行ってしまい淀んでしまっているところ。イギリス海岸とアラヱビス海岸の流れが逆になれば良かったのにと思わざるを得ません。両者は車で20分程度の距離、ちょっとした観光コースになったでしょう。