ブラキモリつどいの森編~活断層・土石流・地すべり~

つどいの森から赤林山までの地形地質的な立地背景

 

 つどいの森の地形地質的位置付けを説明する為にアジア航測の千葉達郎さん考案の赤色立体地図(従来の微地形データを地上開度などの新概念で補強した地形表現で、「血沸き肉躍る」赤を基調に、実体視なしで立体表現可能なレベルまでに陰影表現した地形図=ブラタモリであまりにも有名)を、カシミールのスーパー地形(山岳展望ソフトしてあまりにも有名なカシミールタブレット版として移植したもの)で3D表現してみました。
 赤林山の麓を南北に走る花巻断層の活動とその後の侵食によりつどいの森の平坦地が形成されました。湯沢山や赤林山に登るとその地形を一部確認できます。特に湯沢山はこの春先の伐採により登りやすくなり、何より北側斜面の眺望が効くようになりました。
 ただし湯沢山からの眺望が開けているのが北側斜面(鳥瞰図右側)のみ、一方赤林山からはほとんど眺望が効きません。湯沢山からは北側の山麓斜面を見て南側背後の土石流堆積地(地すべり土塊含む)を想像し、赤林山直登ルートからは身を持って(身体の疲れで)傾斜具合が体験できます。

つどいの森と赤林山麓の地形地質概観鳥観図(スーパー地形によるシミュレーション)

 つどいの森キャンプ地の主要部分は赤林山頂部から東に流れる悪沢が運んだ大量の土砂が堆積して出来た地すべり地に位置します。悪沢は自身が運んだ土砂に遮られ北に流路を変え大沢に合流します。一方大沢も自身が運んできた土砂を避けるように南に流路を変え悪沢と合流します。その合流点が現在通行止めとなっている遊歩道の丸木橋のすぐ上流で見ることが出来ます。
 さてこれらの土砂堆積はどのようにして起こったのでしょうか?
 志波三山の東縁には活断層の花巻断層帯が南北に走っています。さらに現在花巻断層として認識されている線状構造の他にも、西側山腹部に数条の線状構造を読み取ることが出来ます。この西側の線状構造は志波山塊を隆起させた張本人で言わば古い時代に活動した旧花巻断層とも言うべきものです。断層活動が作る山麓斜面には三角末端面が発達するのですが、まさにつどいの森周辺の山麓~山腹にかけて、この三角末端面が発達しているのです。

飯岡中学校付近から望む赤林山周辺の志波山塊-雪景色が三角末端面を浮かび上がらせている

 最近の地殻変動データを見ると、現在は一時的に隆起が止まっているようですが、それは悠久のタイムスケールを持つ地質時代にとってはごくほんの一瞬を切り取ったに過ぎない瞬きにも満たないまさに“一瞬以下”なのです。
 勘のいい皆さんはもうお気づきでしょう。急激に隆起した逆断層型の地殻変動がつどいの森が位置する地すべり台地とその下側斜面に続く土石流堆積地を作ったのです。

つどいの森と赤林山麓 の地形地質概観鳥観図

 この地殻変動を断面図で模式的に示しましょう。

 

花巻断層帯の最近の活動

 つどいの森の地すべり台地を作った変動はいつ起こったのでしょう?
 つどいの森のど真ん中を南北に走る花巻断層は、この地すべり土塊を変形させていません。花巻断層は花巻市北湯口で行われたトレンチ調査により、紀元前2200年頃に動いたと推定されています。また、阪神淡路大震災をきっかけに文部科学省に設置された地震調査研究推進本部地震調査委員会では、過去3万年に少なくとも2回活動したとされ、直近の活動が4,500年前にあったとされています。
 つどいの森の地すべり台地はその後にできたのでしょうか?
 恐らく真相はこうです。花巻断層は雁行状に数条の断層が並列する変動帯です。南の北湯口で紀元前2200年頃に動いたとしても北端のつどいの森付近では動いていなかった可能性が高いと思われます。ではいつ起きたのでしょうか?
 日本の活断層の変位頻度は平均して1万年に一度程度です。そのオーダーで考えると数千年前に地すべりが起き花巻断層を覆ってその後は変動していない、と考えるのが妥当です。地震調査研究推進本部がトレンチ調査のデータを詳細に検討し直して結論付けた4、500年前というのがひとつの答えとなります。すなわち、4,500年前に断層が動いた後、ほどなくして地すべりが発生しその後大きな変動は起こっていないと言えるでしょう。

第四紀の地殻変動

気候変動の進行と砂防行政

大沢の治山ダム群の最上流に10数年前からこの土砂ダム(H=5m)がある

 
 これは大沢の土砂ダム(落差5m)です。右岸に残るサワグルミの立木が上から流れてきた倒木をせき止め、そこに土砂が押し寄せて自然のダムを作りました(上図のA点)。この土砂ダムは9年前の2013年8月9日、雫石から紫波までの間に起こった線状降水帯の豪雨被害を受けてもビクともしませんでした。むしろ想定を超えた水量によりこの100m下流にある治山ダムの落差を落ちた水流がその基礎部を自らえぐり、それがトリガーになって土石流が発生し、大沢中流の約500m間に土砂を堆積させました。自然状態では軽度被害に留まったものが治山ダムの存在により、よりカタストロフィックな土砂移動を発生させたと言えるのです。ここは国有林であり治山施設ではありますが、下流の湯沢団地や災害弱者施設の存在が、今後も計画されている治山施設の増設を後押ししたのは間違いありません。今まで日本の砂防行政はそれなりにうまく機能していたと言えますが、温暖化による豪雨災害の頻発が、今までの砂防行政では太刀打ちできなくなることを予言しています。

大沢上流は沢登りの領域